「生活という癒し」というタイトルに収まらない本。石川九楊氏の話

生活という癒し (ポーラセミナーズ)

中古価格
¥2,389から
(2017/9/17 14:15時点)




前記事の続きである。
日野啓三氏の次に、広田せい子さんがハーブについて主婦の生活の中でどんな風に時間を使って、ハーブについて知っていったかということや

広田セイ子のNewハーブブック―栽培・利用法・ハーブ図鑑

中古価格
¥453から
(2017/9/17 14:19時点)



ハーブスタディ (NHK趣味入門)

中古価格
¥149から
(2017/9/17 14:20時点)




下重暁子さんの、自分らしく装っていくことについての話があり

女50代 美しさの極意―いま、自分らしく個性的に生きる (Beauty Age Books)

中古価格
¥731から
(2017/9/17 14:27時点)



ちょっと気のきいた大人のたしなみ

中古価格
¥177から
(2017/9/17 14:27時点)



最後に、石川九楊氏の話が載っていた。

生活という癒し、という本のタイトルについてまず、
生きていることは生活しているということだから、生活そのものが癒しっていう表現はあり得ないと言っている。
同感。
石川九楊氏の話のなかで、留めておきたいと思ったことは、

言葉が生まれたのは、ことばを発するときに、ある種の違和感、頭の中に?が生まれて、伝達や表出とはまた違って、
?を解くこと、思考 思索が付きまとうようになったからではないか?
道具の使用とその介在→直接性から、不完全な間接性。
対象は同じであるにかかわらず、直に触れたときと、棒で触れたときの感覚が異質・・・地べたを歩くときの、地面の種類によって、質感の違いを明瞭に感じる。
ずれの二重性に?を感じた。
未知のものに→?
他を発見、他者を発見することで自己を発見する人間の関係と言葉は、他との区別のない他の一部、つまり
自然の一部である動物のような存在やその完全言語とは異なって、どこまで精密化してもどこまで行っても不完全なものであり、その不完全なものは完全化しようとして永続的に運動することになります。

話すこと書くことといった表出は言いつくしても言い足りない不完全な言葉を完全化するための運動→人間の文化や文明の運動。

語源病・・・行き過ぎた言葉が実体を作ってしまう。
言葉の統御→焚書坑儒

言葉の本質は?を生むこと、?を解くこと、つまり思考であり創造であり、それゆえ言葉自身発展する。
言葉は概念を支持するだけでなく、意識の物象化なので、ことばは物であり、物としての具象を備えており、かつ
それの存在する場と環境を従えている。

言葉を話す側にも聞く側にも、言葉を媒介とする像と必ず場面が浮かんでくる。あるいはその時の語気や語調、
身振り手振りや表情を含めた全体から一つの意味が表出され、伝わってくる。
つまり言葉は物であって、決して情報ではない。
それなのに、言葉が物であることを消し去って、情報というものではない信号をあふれさせた疑似社会がバーチャルリアリティーであり、ここでは言葉でなくて、言葉の代用としての合図があふれ、その中で言葉がどんどん貧困化し、それに従って
生活も貧困な内実しか持たなくなっていく。

中国は言葉そのものの過剰に病んできた。
日本は貧弱な言葉の過剰とそれに対応した貧弱な生産物の過剰にも病んでいる。

人間の側の生活の豊かさ、、言葉の豊かさが過少になり、それを渇望している。
質の貧弱と、量の過剰の落差に病んでいる。

「美」とは「たたずまい」の別名と考える。
国のたたずまい、街のたたずまい、家のたたずまい、絵画や文字や書のたたずまい、音楽のたたずまい・・・

たたずまい・・・重力に対しての「立つ」という行為とその完了形「済む・澄む」から来ている。
「美」とは、「天」という絶対的存在を前提にして・・・それは人間が自然(物理)として」の重力から避けられない存在であることを
人間的、言語的に組み替えたものにほかならない。天からの重力に抗する戦略と戦術のありよう。
それゆえ「美」は「たたずむ」ことと「たちつくす」ことを陰のように従えて深みを造形する。
人間は、人や物やことの背後に何か魅かれるもの・・・たたずまい、つまり美を求め、体験し、そこになんともあたたかい安らぎや満足感、目の覚めるような心地よい緊張感と充実を感じ、求めつつ生きる存在たと考えられる。

自己は他者との関係によって決まる。自己と他者の区別がはっきりしないと、自己が決まらず、自己を確定できない。
自己と他者との関係を築かないと、自己も築けない。
自己と他者の関係を築くためには、美しくないもの、不要なものはいらない。

日本は文字を作れなかった=天を知らない=地も知らない=主語述語を知らない。日本語には主格がない。
「は」と「が」は主格助詞でなく、「~というものは」という風に一つの主題を提示するだけ。
絶対的に服従するほかない天というものを知らないから、強くて自律的な主語がない。
「私が~する」とか、「〇が~する」という、天への垂直な誓約とも言える形より、むしろ、「わたしは~」「わたしというものは~しますが、皆さんはどうしますか」
という、天も共同性も不在の「わたしは」は主語でもなく、わがまま格。私の考えは、という言い方も同じ。水平意識。
意志を持ってかえていく必要性。理想と希望、高いところを思っていく垂直の思考を可能にするために、言葉の「美」の教育が必要。

言葉の整理。
日本人は縦に書き、横に話す。横に書き、横に話すのでは、無重力の、無責任。
横のおしゃべりではなく、縦に話す。
言葉を選び、神に誓ってという形で話すことで、日本語の話言葉の水準も上がっていく。
言文一致を目指す。
話し言葉を書き言葉の側に引き上げる。書き術
日本語は言い方の末節的な表現が微細。本質でなく表情が過剰。そのため、重要な内容よりも、口の利き方といった末梢的な表現にとらわれた議論が多くなる。
表情過剰は美的でもあるから、それは生かして、言葉そのものの本質、文体と語彙と書体教育も大切にしたい。それがないとうわべだけの言語になる。

縦に書け!――横書きが日本人を壊す(祥伝社新書310)

中古価格
¥41から
(2017/9/17 16:11時点)



大人は子供の真似をせず、歴史に学び(自分たちの父母の世代の生に学び)、世界史を意識し、深い思索をすべき時代。

読書会・・・共同で物を考え、解いていく。
友人・・・志を同じくし、本気で物が言える関係。
異性間・・・生涯をともにするという一つ決意と断念を持った同士。
生涯の友、生涯の伴侶を築くことで、関係不全を克服できる。

関係不全で事故が分からなくなり、貧困な言葉、貧困な生産物の過剰によって、人生が混乱。
いつまでたっても大人になれない万年青年的存在の蔓延、それを正当化するためのおかしな言説が生まれ、それに従って、本人もそれでいいという風になってしまう。

・・・・結構、内容が濃くて、整理するのが大変なので、石川九楊氏の他の本も読んでみようと思う。

日本語とはどういう言語か (講談社学術文庫)

中古価格
¥2,327から
(2017/9/17 16:10時点)





スポンサーサイト