連休だっていうのに、みんな「仕事」。

海の日のころ。


連休の二日目。日曜日。
多忙な友人と、下北沢で会う。
ひと時過ごした後、彼女は
「会社」へ。

近頃よく、夕飯を食べに来る友人。
「仕事の後で、」来るという。

連休最後の日、月曜日。
久々に弟に電話した。
「今、何してるの?」
「仕事中。」

連休明けの職場。
荒れ放題。
上司いわく
「連休中、仕事してたもんで。」

みんな、休日も働きたいのか、働かざるを得ないのか?
休むと後が大変。
今日やっておけば、かなり片付く。
やらないと間に合わない。

いずれにしろ、自分たちのペースではなく、
周囲のペースが優先されているわけだ。
街全体、国全体が大急ぎ。
消費者も大急ぎ。
だから、供給する側も休んでいる暇はない。


ぐるぐる、ぐるぐる。

こうして日本はここまでやってこれたのだろうし、
N.Yあたりには、もっとスゴイ、働きまくる人々が
いっぱいいると聞く。
だから、この状況について、どうこう言わない。
ただ、自分はいい加減、ついていけないよ~、
合わせるのがしんどい~。
近い将来、本気でここを脱したい・・・
・・・なんて真剣に悩む今日この頃。
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十年間で、死語の洪水

ここのところ、過去の仕事に関する記事を書いているせいもあってか、
自分が通り過ぎた仕事が、今現在はどうなっているんだろう、と気になった。
そのうち幾つかは、現役の友人や、事情通の友人がいたので、
ちょこっと、聞いてみた。

自分が、出たり入ったりしていた仕事、デザインの現場
「今の若い子は、版下入稿なんて、どうやって扱っていいか、分かんないよ~」
「版下」は、死語になりつつあるらしい。
十年前、多分、それよりもっと前から、写植屋はダメになるだろう、
と言われていたのだけど、ほんとに、全滅したのかなぁ。
生きているとしたら、どういったところで動いているのだろう。

映画の撮影なんかでも、機材が軽量化して、
若い女の子のスタッフが増えてきたというし。
写真の方も、銀塩を使う理由もあいまいなほど、
デジタルが優秀で、安価になったと聞く。

何でも、「データ」らしい。
データね・・・。
つまりは、デジタル、コンピューターが全能に近づいてきている
ってことでしょ。
怖いよね。だいぶ前になったけれど、2000年問題とか、
コンピューターが暴走する映画も多いし。
身近な脅威に留まらず、そういう映画のようなことも
おきうりそうだなぁ。
(身近といえば、私は一台目のパソコン、ぶっ壊されて、
もちろん、すべてぱぁになった事がある・・・。
それ以来、ノートパソコンを持ち歩くのが、かなり恐怖になった。)

テープなんて、全ての分野からなくなっちゃうのだろうけれど、
そうしたら、今、まだ、普通に通っている、「テープ」も、
死語になるんだろうなぁ。
そう考えると、つくづく、すごい転換期なんだな~と
当たり前のことを思ってしまう。
ワープロの時代、白黒画面のパソコン、
フラットだけど、ブラウン管使用のテレビ・・・ナドナド、
過渡期のものは、存在すら忘れ去られてしまうんだろうなぁ。
死語にすらならない、存在の希薄さ。

この記事も、死文にすらならない。
あってもなくても、どうでもいいような文だ。
前に、「テレビ番組制作会社をばっくれ退社」っていう記事を書いたけれど、
今では、過去のようなタッ券(タクシー券)の束なんて、あり得ないし、
遅くまでかかるときは、泊まりか、マイカーで帰るらしい。
朝も早くなって、あの業界も、多少、地球に優しくなったとか!?

懲りずに内職。ネイル作り。

知り合いに頼まれて、ネイル(付け爪)作りをやってみた。
企業秘密だとまずいので(今更!)プロセスは書かないけれど、
何しろ、細かい!!
材料が吹き飛びそう。
シンナー臭い!
作業が細かいので、ガンガン作れないし、埃も大敵。
・・・大変です。お金は内職としてはいい方。
それにしても、こういうものを、日本人に作らせるとは・・・。
やっぱり、アジアの発展途上国では、仕事がいい加減なのだろうか?
「どうして、これでダメなんだ!?いいじゃないか!!」
 「日本ではダメなんだよ。」

やり直して時間も金もかかるのかもね。

単発、単独の仕事は、責任重大!?

その① 編集者のお手伝い

雑誌の企画の下準備を頼まれた時のこと。
「面白い部屋」を探して、写真を撮ってくるように言われた。
面白い部屋?
そんなのいくつも知らないから、
友人に声をかけて、紹介してもらう。
アポイントをとって、あちこち廻った。
工夫派か、家具頼り派かに大きく分かれ、写真を撮っている時に、
すでに、絶対ボツだろうな、というところもある。
撮って貰う側としては、やっぱり採用になって欲しいだろうから、
こちらとしては心苦しいこともしばしば。

でも、そんな仕事からの出会いもあり、なかなか面白かった。

その② マーケティング調査?

知り合いの外国人に頼まれて、
あちこちの企業に電話をして、アンケートをとる
というバイトをした。
企業、しかも、担当者はおじさんばかりで、こちらの所属も、
海外の正体不明な(相手にとっては)研究機関・・・。

当然、胡散臭そうな返答。
何とか、アンケートの協力をOKしてもらっても、質問事項が多く、
しかも、元々外国語のアンケートを下手くそに日本語に直したもので、
やるわけだから、とてもやりづらい。
肩身が更に狭くなる。
結果を相手に送ってあげるわけでもない。
海外では通用するやり方なのかどうか、知らないが、
こちらでは、電話をかけるのも緊張、
アンケートをとるのも、相手の話を上手くまとめてメモするわけだから、
スムーズにいかなくて、あたふた。

疲れた・・・。
同じところから他にも、難題!と思われる仕事を請けたが、
(仕事をくれた外国人が興味を持っている日本語で書いてあるビジネス本を、英語で簡約する
何だか、変わったものばかりで、しかも大変だった。
どういうわけだか、報酬は良かったけれど。

いずれにしろ、明確な肩書きも持たずに、飛込み的なので、
結構、ドキドキする。
けれども、新鮮だし、知らない世界からの発見も多い。

全然自然じゃない自然食品のスーパーで働く

学生時代に、半年強、働いていた大手自然食品店での観察・・・

朝八時前に店に行く。私が担当していたのは品出し
減っている品物を、メモして、倉庫から補充するのである。
まず、一般食品。
瓶物などは、棚の後ろから入れていくのが結構面倒。
どの商品も、新しいものを後ろに入れていくのだが、
袋物のスパイスなど、きちんと立っていてくれないので、イライラする。
山積みになった、箱物も、ドサドサ落ちてきたり。

機械的な作業だ。
ダンボールで、手も荒れる。

しかし、自然食品店というのは、粟とか玄米粉とか、タンポポコーヒーとか、
「へ~」と思うようなものがあるので、見ているだけでも楽しい。
酢や醤油も、様々な種類があるのだが、値段も高めなので、
一体誰が買うのだろう、と思う。(しかし、減っている。)
アレルギー対応のもの目当てだったり、
どこかで調べてきて買うお客さんが多いので、
意外と、「~はどこですか?」と聞かれない。
恐らく、そういう人も、あちこちの棚を、「へ~」と、見ながら
探すのが好きなのだろう。

生協などでも扱っている品もあるのだが、
同じものでも、その店では高く売っていた。
思わず、生協の回し者のように「~生協で安いですよ」
と言いたくなるのをこらえる。

一般食品は、日持ちするものが多いので、いいのだが、生ものは、
売れ残ってゴミになるものが、信じられないほど多かった。
豆腐なども、紫蘇味とかゆず味とか色々な物があり、
美味しそうだなぁ、それにしても、高いなぁ~と思いながら、
陳列していた。
数日後には、裏に引き上げられて、どっさりゴミになる。
・・・もったいないなぁ。(仕入れ担当は誰だ!?)
どこのスーパーでも同じだと思うが、練り物や豆腐類の品出し作業は、
予想以上に体が冷え切る。
冬は、辛い。
冷蔵庫に物を取りに入ることも多い。

乳製品の担当者も同様。
本当に、冷えるので、体に悪いんじゃないか?!と思う。
体温が高い男がやるべきだ。

棚の一角に、ヤギのミルクが売られていた。
アレルギー対応らしいが、殆ど売れ残っていて、捨てられていた。
ジャージーだの瓶入りのブランド乳だの、高い商品が多いのだが、
そういうものが、ある朝、裏のさげたものコーナーに
大量に捨てられていた。(一塊700円もするパンも同様。)
レジ籠三個分ぎっしりなんてこともしょっちゅう。
勿体無いを通り過ぎて、怒り!
仕入れ担当は誰だ!!
牛に申し訳ないじゃないか!
もっと値下げするか、仕入れを減らせ!!

と、言いたいところだが、私はただのバイトの一人であり、
仕入れ担当は、自然食に大した愛着も持っていない会社員なのであった。

どこの店かは言わないが、そのチェーン店の一番黒字の店舗である。
店名にある単語とまるで反しているやり方。
そういう店で働く人は、
もっと、食に対する意識の高い人であって欲しいのになぁ。

ちなみにバイトは、場所柄、おしゃれ度の高い女の子が多く、
店のブランド名に魅かれて、安い時給でも、割と長く働いている。
穏やかな人が多く、バイト仲間同士は仲良いのが救い。

最初はやる気満々で働いていたのだが、
その頃、夜、銀座で働き始めたので、
その給料の差に愕然とし、物凄くやる気がなくなっていってしまった。
しかも、当時の彼氏が、私の上がる時間の少し前に、
店の前をうろつくようになり(うろつくな!)、
女の子が多い職場だったので、みんな、大騒ぎ。

そういうところの女の子は、かわいいし、性格もいい割に、
男っ気がない子が多いのである。
ギャルっぽい子はいなくて、男からしたら、
ちょっとつき合いづらいタイプなのかもしれない。
(フランス人の友人いわく、自然食好きは、こだわりのある人が多いとか。)

「カ、レ、!来てるよ!!」
としょっちゅう、偵察衛星のような人が報告しに来てくれて、
他の子も、こっそり見に行ったりして・・・(苦笑)。
「来んなよ!あっちに行け!」とは言わないけれど、
毎日のように来られると、あまり嬉しくない。
というより、・・・・。(あえて言いません。)
とにかく、二つの理由から、すっかりやる気減退して、辞めてしまった。

そういう店が、普通のスーパーよりいいところ?は、
安売りスーパーのように人が殺到しないので、ペースがゆっくりなことと、
(みのもんたの番組で紹介された商品には、客が押し寄せることもあり。)
場所によっては、綺麗なお姉さん(芸能人やモデル)が来るので、
そういう人を見たい人は楽しめる、ということかも知れない。
(素顔の、そういう人より、地元の金持ちで品のいいおばさんのほうが
綺麗だったりするが。)

ま、私は、普通のスーパーでは働けないと思う。
食料品店での最初で最後の体験で、面白い友達も見つけたし、
綺麗な店の汚い面をたくさん見られたのは、勉強になった。
今でも、牛やパンや豆腐の代わりに、
その会社を腹立たしく思っているが・・・!

(当然、作っては捨てる某ファーストフードや、ロスの山を出すようなところでは働けないし、働きたいとも思わない。
そこら辺のことをばらしても、聞く人が少ないのは、
やっぱり安さと、ジャンクな味とは離れがたいからだろうなぁ。)


寂しいよぉー。試飲キャンペーンのバイト

当時、家出同然で、彼氏と代々木に住んでいた。
毎日ではないバイトを探していて、みつけたのが、
試飲キャンペーンのバイト。
面接場所は、大久保。

大久保といい、お滝橋通りといい、馴染みのない人間には、
かなり怖い感じのする場所
で、今でこそ、
その不気味さの理由が分かるが、当時は、
ただ、怪しげで、早く帰りたくなるようなところだった。
(先日、所用で大久保に行ったら、ベンツやらセルシオやらがばんばん路駐していて、
何者か一目瞭然ないでたちの人々がたくさん歩いていた。
葬式の為、大集合!?のようだったが・・・。
大久保に行くたびに不思議に思ったのが、車道をMTBならいざしらず、
ママチャリで走る人々。・・・リトル・コリアの人でした。)


面接、説明会会場は、やはり、怪しげな古いビルの中にあった。
大勢の女の子たちが、狭い階段を登っていく。
小さな部屋に詰め込まれて、説明を受ける。
やたら馬鹿でかい声で、小さな男の人が話していた。
突然、挨拶の練習をさせられる。

面接は、あってないようなもんで、若干名を除いて、採用。
報告書の用紙や、最初の仕事の資料などを貰って、帰る。

派遣先は、どういうわけだか、都心から電車で一時間か、
それ以上かかる行ったことがないような所ばかりであった。
仕事の当日、朝早くに家を出て、その日の派遣先に向かう。
大きな酒屋の時もあれば、スーパーの時もあった。
いずれにしろ、派遣っていうのは落ち着かず、勝手も分からないので、
気を使う。
お客相手よりも、その、派遣先の人に対して。

一人な仕事である。妙に、孤立感がある。
見張られているような感じもする。
それでいて、物も、売らないといけない。
試飲用の飲み物を店の人から受け取り、注ぎ、
売るための飲料を、小さな袋に詰めたりする。
試飲用にあけた数と、売れた数も、カウントする。

片付けて、帰るときは、心底、ほっ。
派遣先が駅から遠い時は、薄暗い道路を歩いて、
駅に向かうのだが、頭の中が、真っ白になっていた。
疲れた~。夜道もさびしい・・・。
再び長い時間、電車に揺られて帰宅。
報告書もまとめないといけない。
予想以上にしんどいし、拘束時間を含めて、時給を計算すると、
「やってらんない!」
彼氏が帰宅しても、「明日も早いから、おやすみ~」。
話す気にもならない。

結局、五回ぐらい仕事したかな!?(笑)。
あの仕事をやっている人は、私みたいに、ぐったりしないのかね。
慣れなのかなぁ、やっぱり。
私にとっては、ただ疲れただけのバイトであった。

紙が重い・・・。ポスティングのバイト

代々木に住んでいたとき、近所で見かけた貼り紙。
「ポスティングのスタッフ募集
試してみることにする。

配布場所を指定され、大量のチラシを渡された。
ガラガラ(キャスター?)に縛り付けて、駅に向かう。
ホームでガラガラ(笑)が崩壊しそうになる。
時に、チラシも崩れ落ちそうになり、慌てる。
慌てて人の足をガラガラで轢きそうになる。
誰かが、こっちの荷物につまづく。
・・・大迷惑。


目的地に着く。
どんどんポスティングしていく。
マンションのポストでは、数がはけるが、
ゆったりとした住宅地では、歩く距離も増える。
なかなか配り終わらない。
時に、チラシを投げ捨てたくなるが、ばれるとまずいので、
真面目に配った。

ヘトヘトになって、戻る。

翌日は、チラシを折る方をやってみた。内職である。
物凄くしんどい。
そういう作業が向いてないのか、なかなかノルマ達成せず、
夜な夜な、折り続ける。
自給計算すると、・・・・・・・。
翌日、辞めた。(苦笑)

チラシといえば、知り合いに頼まれて、一日だけチラシ配りをやった。
ビジネスホテルのチラシ。
場所はなんと、水道橋。
変なおやじに「一緒に(ホテルに)行こうか~?」と言われる。
・・・・・・。
それに、ティッシュがついてないと、貰ってもらえないんだよね。(苦笑)
チラシ配りの人たち、よくやるなぁ~。
私は二度とやりたくない。(笑)

雑用係が見た!?モデル事情、コピーライターの仕事ナド。

学生時代の夏休みとか、短期でやった雑用のバイトが幾つかある。

その①デザイン事務所
 
今時、殆どの作業がパソコン行われているのだろうが、
昔は、コピー機を駆使したり、切ったり貼ったり、
という作業が結構あった。
後は、運び屋。
時々撮影に同行。殆ど見学。(苦笑)。
その後、写真の整理。

その時知ったことは、子供のモデルのギャラが、
大人よりもずっと安い
ということ。
子供のモデル事務所に知り合いがいたが、
そこの事務所では、所属する時、
まず、写真代(プロフィールの。安くない。)をとる。ダンスのレッスンは、受け放題。
あと、オーディションの斡旋。
本人の資質とコネがあれば、
オーディションを受けられるチャンスも増える。
雑誌やコマーシャルの撮影のオーディションに受かって、
仕事にありつけた場合、事務所が勿論、収入の何割か取る。(結構大きい)
ただかわいい子はたくさんいるので、
キャラに特徴のある子が欲しいとのことだった。
ハーフの子は、十歳位を境に、不細工な子が増加。
小さいときはみんなかわいい!?
デザインにしろ、写真撮影にしろ、
コマーシャルの方が雑誌よりもギャラが高い。
自分も別のモデル事務所に所属したことがあるが、
結構、普通っぽい人が多く、
痩せてりゃぁいいのか?!
という感じだった。
少ない仕事の取り合い状態
で、
つまらない撮影のオーディションにも、モデルが殺到する。
もともと、撮られるよりも撮る方が好きだったので、
「旅に出ます」と即行辞めた。
事務所の人は呆れていたけれど。(苦笑)

コピーライターとデザイナーが一緒に働いている所で感じたことは、
「こんなことまで、コピーライターがやっていたのか!」という驚き。
通販のカタログの、商品の色やらサイズやらといった、
細かい情報まで、わざわざ、コピーライターが書いているのである。
コピーライターイコール、かっこいいコピーばっかり書いているのではない。
そういうコピーが書けるようになるまでの道のりは長い。
「思ってたのと違った!!」とガッカリする人は多いだろうなぁ。
カッコ良さそうな仕事ほど、現実との落差が大きいような・・・。

その② レコード会社

カッコいい?場所にあるカッコいいレコード会社での雑用は、
お茶汲み。集配。電話番。配達係。(笑)
つまらない。つまらなすぎる。
地味な事務所で同じことをするより、ず~っとつまらないのである。

周りの人も、何やってんだかよく分からない人が多い。
あまりにも暇すぎて、居づらい位。社内の雰囲気も、息が詰まりそう。
お互いの仕事に対する確執があるのかね。
メリットといえば、サンプルのなんかがもらえたり、発売前の曲が聞けたりといったことか。
外の空気がおいしい・・・。

カッコ良さそうな仕事は現実とのギャップに要注意である。
美味しい仕事なんて、なかなかすぐには貰えないのだから。
その仕事が好きで好きで、何としてでも関わっていたくて、
しかも、相当しつこい。会社の不条理にも、我が儘な人もかぼちゃだと思える・・・
そういう人が勝つ!?

子供がらみのバイト その②・・・子供に気を使う・・・。

美術館のワークショップで、一日限りのバイトをしたことがある。
そのとき展示されていた絵をもとに、美術館探検のような感じで、
子供達をグループごとに連れ歩く。
何を感じ取るか誘導したりして、絵を鑑賞する面白さに気付かせる。
特に、マニュアルもなく、スタッフが適当に考えて、
子供達を楽しませるわけだが、それがまた難しい。

もともと、子供と遊ぶことに慣れていなくて、
しかも演技派ではない私は、困った。
子供は、この人、何をしてくれるんだろう、という感じで、待っている。
仕方がないので、ありきたりの質問から始める。
子供の答えの尻尾を捕えて、次の質問へ繋げていく。
それを繰り返すうちに、子供達ものってきて、
喜んで答えるようになる。
こっちも、子供達の答えを強引に、違うイメージへと引っ張っていく。
そんな感じで何とか切り抜けた。

その日、出会った人に誘われて、
他の、子供がらみの一日限りのバイトも、やってみることにした。
週末キャンプでの、小学生くらいの子供の相手をするバイト。
電車に乗って、都会から離れた緑の多い土地に向かう。
キャンプというより、ペンションのような建物に着いた。
既に、子供達は到着していた。十五人くらいかな。
畑には、ブルーベリーなど、ちょっとしゃれたものが植えられていた。
子供三人に対して、大人一人ぐらいの割合だったと思う。

到着した時、夕方だったので、すぐに日が暮れてしまった。
みんなで入浴したが、まだ、お互い、緊張が取れていない。
特に楽しくもなく、お風呂につかった。
意味もなく、突然、ばしゃばしゃと、子供達数人に、お湯をかけられた。
相手も、様子を窺っているのだろう。
この人には、何をしていいか、悪いのか。
どこまで受け入れてもらえるのか。
ナドナド。
こっちとしては、「イジメじゃん!!・・・子供って怖いよ~」
という心境だったが、とりあえず、動じないふりをする。

食後、肝だめしをすることになった。
お墓の間を通るだけで、仕掛けも何もない。
それでも、真っ暗なので、子供達は怖がって、進むことも出来ない。
異常に怖がっていた。
結局、スタート地点で終わったようなものだった。
あまりにギャーギャー騒ぐので。

一体、この企画は何なんだ?
どういう趣旨で、どういう子供を対象にしてるんだ?

疑問がよぎったけれど、聞く暇はなかった。
忙しいからである。

特にプログラムされたキャンプでもなく、
メインの大人チームはあるものの、その人たちが、
率先して何かやるというわけでもない。
ただ、身の回りの世話をしているだけのようなもんだ。
他の大人、寄せ集めのバイトの人たちも、
せいぜい、名前を伝え合っただけなぐらいで、
お互いのことがよく分からない。
しかも、ぶっつけ本番なもんだから、チームプレーも何もない。
あっという間に翌日になって、バイト終了。

一体、何なんだ。
子供の過保護ぶりから見て、結構、金取ってそうなのに、
ただ、一晩止めてやれば、それで十分なのか?

子供も楽しかったのか?
行ったことしか、記憶に残らないんじゃないのか?
行ったことすら忘れるかもね。
そんな、イベントであった。

しかし、ある人、私を、そこへ連れてきた人から聞いた話は、
今でも、ずっと覚えている。

彼女は、青年海外協力隊で、旅立つことが決まっていた。
その日までの空いた時間に、バイトをしていた。
人に、色々尋ねてみるのは、面白い。
どうして、彼女が、そこに行き着いたのか、聞いてみた。

大学最後の年、彼女は、落ち込んでいた。
自分の存在意義を失って、卒業後一年間、鬱々と過ごしていたらしい。
「誰も私を必要としていない・・・・。」
とても孤独で、何もする気になれなかったという。
でも、その日々は、彼女にとって、必要な時期だったようだ。
ある日突然、人生が再び動き出す。

フィリピン旅行に出かけて、カルチャーショックを受けた彼女の目は、
海外へと向かう。
自分ひとりを見つめていたのが、突然、ぱっと、視界が開けたわけだ。
日本から最も遠い国の一つである、アルゼンチン。
興味が湧き、読んだ本に感動した彼女は、著者に手紙を書く。
「人手が必要になったら、呼んでください」と。
そして、彼女は、呼ばれて、アルゼンチンに飛んだのである。

「行動が伴わない言葉は信用しない。」そう言いきる彼女は、
その言葉通り、積極的で、どんどん前進していく。
ものすごいパワーだ。

「何も考えずに、とりあえず、行ってごらんよ。」
どうして行くのか、その意味は、ずーっとずっと、月日が経ってから、
必ず分かる
、と、彼女は言った。
その言葉も、私を応援してくれる言葉のアルバムに加えられ、
そして、実際、彼女の言ったとおりだった。

どこで、どういう出会いがあるか、分からない。
苦手な子供相手のバイトの場であったけれど、
いいものを見つけた。
子供の周りには、色々な、気付きのチャンスが
隠れているような気がする。
見えるようで、見えないところに。

子供がらみのバイト①・・・子供はコワイ!?

浪人時代に、都心にある、児童施設内の温水プールでバイトをした。
自宅から交通の便が悪かったので、MTBで、ガーガー走って30分。
ショートパンツの足の付け根辺りが汗でびっしょりとなる。
建物に入り、地下に下りる階段。むわーっとした空気。
湿気と塩素の臭い。


お昼過ぎの室内プールは静か。子供達もまだ来ていない。
バイトのその日のメンバーが徐々に集まってくる。
着いたらすぐに、水着に着替える。
古くからいる人は、決まって、早くから来ており、
忙しそうに動き回っている。
それに引きかえ、若い連中は、だらだらしていて、
のんびり世間話をしていたりする。

子供達がいないプール。
プールサイドに座り、水の中に手を浸してみたり、足を浸してみたり。
水面に揺れる、天井の蛍光灯の光をぼ~っとみつめたり。
なかなか、幸せなひとときだ。

子供達が来ると、一緒に遊んであげたり、
プールサイドから、監視する。

小学生の女の子たちと、水の中を漂いながら、話をする。
ちょっぴり激しい遊びに付き合ってとせがむ子もいる。
「私の水着はね~〇〇〇(ブランド名)のなんだ~。」とか、
毎日、習い事で忙しいといった話が、
小学三年生の口からも出る。

そこへやってくる子供達は小学生が大部分であったが、
なぜか、毎日のようにやってくる、中学生の女の子達がいた。
二人か三人で来ていた。
プールに入る日もあれば、
ただ、バイトの人間を冷やかしに来るだけのこともあった。
結構、癖のある子達で、その時、背ばっかりだった私より、
ずっとがっちりしていて、髪もそろって、ショートヘア。
学校でも、角がある子のようだった。
そこには、年上の男の人に甘えに、女の人に当たりにきているように見えた。
おかしいくらいに、男のバイトの人の前では可愛らしく陽気で、
女のバイトの人には、眼中ないっていう態度。

ある時、プールサイドに立っていると、服のまま、プールに突き落とされた。
上がろうとしたら、「上がってくるんじゃねぇよ!」と再び蹴り落とされた。
自分より、四つ位年下の女の子にである。
どこかに、八つ当たりしたかったのだろうけれど、怖かった~(苦笑)。

自分が中学生の時、夏休みの水泳教室に、OBの大学生が
指導の補助に来ていたが、
そのときの私は、大学生なんて、とんでもないくらい年上に思えて
一体、どういうプロセスを経て、それぐらいの歳になっていくのか、
想像もつかなかったものだ。
だから、彼女たちの振る舞いが、驚きだった。
ませてるな~と、少し可笑しくもあった。
今考えると、きっと、彼女たちは、他に居場所がなく、
そこが心から安心できる場所だからこそ、
甘えもし、八つ当たりもしていたのかもしれないな、と思う。
その頃は、恐ろしい、変わり者で、早熟の中学生にしか
見えなかったのは、私自身、ガキだったからだろう。

福祉施設でもあったので、時々、ハンディキャップの人たちも来ていた。
ケアしている人がついて、グループで来ることもあった。
プールで、てんかんを起こしてしまった人を助けるところを、
そこで初めて見た。
びっくりしたが、助ける側の人はとても落ち着いていて、感心した。

そこでの勤務時間は午後一時から五時ぐらいまでだったのだが、
周りのメンバーが面白かったせいもあって、あっという間に時間が過ぎた。

恵まれた感じの大学生。夢に向かって努力している専門学校生。
可笑しいくらいギャルギャルしていた短大生。栄養失調の劇団員。
アーティストの卵。元気なおばちゃん。謎の人物数人。ナドナド。

みんな面白い人だったが、今を思うと不思議なくらい、
何か夢を持っていて、それに向かって努力している人が多かった。
自分の言動に自信を持っている人、自分のために道を進んでいる人。
明るさと暗さの両面を持っていることが垣間見える人。
笑顔の裏で、真剣に悩んでいるのが窺える人。


一年間と少し、バイトを続けたが、ある日突然、辞めたくなった。
きっと、辞める時だったのだろう。
それから四年位後、とある駅で、証明写真を撮ろうと、
スピード写真のボックスに近づいた時のこと。
ボックスの中に人がいて、
なにやら、メンテナンス作業のようなことをしている。
その人が、ぱっと顔を上げたと同時に、お互い、誰であるか気がついた。
自分より、かなり年配の人で、特に親しかったわけではなかったが、
とても優しくて、バイトの時も控えめで、口数の少なかった人。
相変わらず、自分の好きなことをやる為に、お金を稼ぎながら、
細々とやっているようだった。

当時のバイトの人に、会いたいと思ったことはなかったけれど
会いたくなくなったから、辞めたのかも。)、
突然会えた、その時は、妙に嬉しかった。
しかし、過ぎ去った日々を振り返ることはなく、
やはり、その一時だけ、私の人生と接点のある人達
であったのだろうと思った。
決して溶けない氷の中に閉じ込めた、人生の時間のひとかけら。

あるタイミングに、自分にとって何かしら、いい作用をする人と出会う。
それは、忙しくてたまらない、特急のような生活、仕事の中では、
難しいかと思う。
いろいろなものが混ざっていて、時間にも余裕があるような職場で得られるもの。
そういうものがある。お金やスキルじゃなくてね。

ある広告カメラマンの日常@短い生涯 その②

ストレス解消の手段として向かったのは、友達付き合い。
子供を育てる父親像を持たなかったので、子育ては知らないまま。
撮ったフィルムを現像所に出し、待っている間に
近所のデザイン事務所や、編集社に顔を出す。
何処の現像所の近くにもあるようだ。(逆か?!)
そういうところで働いている人っていうのは、趣味もあらゆる方面。
美味しい物好きも多い。
付き合いも、当然、多様化する。
家族と付き合う時間はどんどん減る。妻の要望で、なるべく、日曜は空けるようにするが、
自分の友達を家に呼ぶことも多い。
家族で遠出する日の前日は、どういうわけだか、大抵朝帰り(マージャン)。
(プレッシャーから逃げ出したくなるのか?)
子供達は、母の父への非難の声を聞かなかったことにする。

妻の原家族も、離婚で崩壊していたので、そんな状況でも、
自分たちの家族は崩壊しないようにする。
自営業というのは、当然、収入が一定しない
しかし、夫は生活を変えないので、お金が入ってこなくても、
出すお金はセーブしない。
妻は、子供達の教育費を貯める為に、仕事にでる。

バブル以降、企業は、まず、広告費を削減。
ベテランカメラマンは、ギャラが高いので、敬遠するようになる。
安く使える若手が、次から次へと現れてくる。
仕事はどんどん減る。
銀塩からデジタルへ、時代も移行し始める。
写真とパソコンを使って、新しい、ビジネスはないかと模索し始めた冬。

ある年の正月。体調が優れない。
風邪かな。
月末に近くの内科医院で、鬱病か、急性~炎?と言われる。
近所の総合病院に入院して、検査を受けることにする。
十日以上かかって、検査終了。
肝臓全てと、膵臓の大部分が、癌に侵されていた。
肝臓というのは、無言の臓器と言われるくらい、我慢強くて、
病に気付いた時は、相当症状が悪化しているものだそうだ。

余命、2、3週間。

身の回りの片づけをしたいに違いないと思った妻は、
夫に、医師の口から、告知してもらう。
本人には、余命2、3ヶ月と伝えたものの、その後、
病状は急激に悪化。
体に水がたまっていく。膨れた腹部。
意識が混濁してきて、話も聞き取れない。
うわ言、罵声、痛みを訴える声。
「家族より、外の世話ばかりして!」と言われていたが、
人懐っこくて優しい人間であった。
その姿は変わり果て、生きてはいるのに、
もう、魂は旅立ちたがっているようであった。
この世に病気の体を置き去りにして。

告知どおり、2週間後の夜に、魂は、癌で蝕まれた身体を
周期的に震わせて脱出を試み、朝方、すーっと抜け出していった。


葬式の日。
「突然で事故のよう」という声が多い中、
「好きなことばかりして、いい人生でしたね。」
と言う声も、幾つか聞かれた。
好きなことばかり・・・。実際、胃痛に悩ませられ続けていたのだから、
その通りではないかもしれない。
人が相手に持つイメージと言うのは、その人の主観である場合が多く、
当たっている時もあれば、まるで違うこともある。
けれども、死んだ時に、人から、「好きなことばかりして、~」と言われることは
そんなに悪くない。

これが、生前も死後も、「肝心な時にいないんだから」と言われた、
あるカメラマンの一生。
娘の心に残ったのは、「楽観主義が勝つ。」「人生はくじ引きみたいなもの。」
という言葉。いいかげんな物言いかも知れないが、そんな気もする。

ある広告カメラマンの日常@短い生涯 その①

大阪に生まれる。
両親は、元大地主の子。
戦前は、子供時代、高価な玩具も書籍も何でも与えられていたという父と、
家に使用人用の大浴場があったという、母の間に生まれる。
周りの大反対を押し切って結婚した、
どうしようもない遊び人と、わがまま娘。
戦後のお金の価値があってないような時代にも、
生活をセーブすることが出来ず、
財産を食いつぶす。
そんな時に生まれた男の子を気にかけてくれたのは、
祖母だけであった。

金の切れ目が縁の切れ目。
父は、愛人の元へ。
それにキレた、母は、一人息子を姑に預け、出て行ってしまう。
家の経済状況はどんどん悪化し、裕福だった幼い頃とうって変わって、
栄養失調の中学時代。
母は、繊維企業のデザイナーとして働き、収入を得る。
ある程度お金が入ってくるようになり、再び、子供の元へ戻ってきた。

四国へ引越。母の妹夫婦とその息子と同居することになる。
小さな山の上に住み、学校帰りは、野犬を恐れながら、
山の中を走って帰宅。
叔母夫婦の息子、つまり従兄弟とは、兄弟のように仲がよく、
弟のようにかわいがった。
大学で、美術を学び、卒業後、上京

広告代理店にデザイナーとして就職。
仕事の中で、写真を撮る機会が多かったことから、
カメラの仕事に興味を持つ。
退社後、現像所で働き、
現像液の臭いを全身に染み付けて、暗室の中で過ごす。
予想以上につらかった、現像所での仕事を続ける傍ら、
独学で、広告写真の勉強をする。
モデル事務所の、専属カメラマンとして、
写真の仕事を開始。
毎朝、鏡に映る自分に向かって、激励しながら進んだ20代。

プライベートでは、高校時代からの顔なじみであった女性と結婚し、
女の子と、男の子をもうける。
子育ては、建築設計の仕事を出産と共にやめた妻に任せ、
自分は、仕事と、付き合いに殆どの時間を費やす。
子供時代の寂しさからか、人付き合い依存症かと思われるほど、
人懐っこく、友人もたくさんいた。

朝遅くに起きて、新聞を読みながら朝食をとり、
仕事関係の電話をかけ、車で家を出る。
打ち合わせ。撮影。フィルムを現像所に出す。受け取る。
写真のチェック。納品。請求。そして営業。

撮影場所は、外、スタジオ、取材先、
自宅近くに借りたブツ撮り用の部屋。
その他、必要に応じて何処でも。
人、小物、機械、車、宝石、絵画、風景、料理、
その他、何でも撮る。
特に難しかったのはブツ撮り全般で、
対象によって、テクニックがいるうえ、
ものによっては塵一つ付着することも許されない。

クライアントとのやり取りで、胃が痛くなる。
クライアントは、写真が撮れないから、頼んでくるのであるが、
あまりにも、写真について無知な場合、
その予算内で出来ない注文をしてくる。
撮影は、集中力を要する。
編集者が、写真を紛失。支払いの遅れ。渋滞。
タバコ。たしなみ程度の酒。夜型の生活。
十二指腸潰瘍。

しらみつぶしにアンテナ探し

ちょっと一人になりたくて!?一人で出来るバイトを探してみた。
発見。
パラボラアンテナを探すバイトである。

渡されたのはリングで止められた分厚い台帳(!?)と、
事務所でコピーした住宅地図
一つのエリアごとにその二つを用意して、歩き回る。
都心の方なら、まだ、一つ一つの町(!?って言うのかな)が狭いので、
一日で、幾つかのエリアを廻れるけれど、
都心から電車で二十分も乗れば、そこは郊外!?
一つの町につき、一丁目から七丁目まであったりして、
朝早くスタートしても、その町を廻り終える頃には、午後にを過ぎてしまうし、
場所によっては、一つの番地がだだっぴろくて、一日三丁目ずつとか、
分けないと廻れない。

一週間分の資料を事務所に貰いに行っていたが、
渡されたエリアによっては、げんなりする。
台帳には、一軒一軒の家の契約内容が書いてある。
契約しないで、こっそりアンテナを設置している人をチェックするわけ。
(嫌な感じ!?)
嫌なやつ~と思われる仕事かもしれないが、
取立てに行くわけではない。
仕事だから、チクリやでもない。と、思う。(苦笑)

しかし、その仕事っていうのは、定期的に、同じ場所を再度廻るので、
新たに見つけるのは、どんどん難しくなっていくのである。
アンテナの種類も、自分の雇用主の会社に該当するものでなくてはならない。

それに、通りから見えるようなアンテナは、
大抵とっくにチェックされているので、
通りや建物の裏から覗き込んで探す必要がある。
木の陰に、発見!と思っても、表に回らないと、
どこの家がつけているのか分からない。
集合住宅だと、どこのベランダがどの部屋のものか、
確認しなければならない。
部屋を見つけても、そこに住んでいる人が誰か分からなかったり、
番地があいまいで、報告するのに困る時もある。
つまり、かなり、しんどいのである。
一日に、一つも見つからない時もあるし、
二つ、三つしか見つからないなんてザラ。
それに、抜き足差し足・・・なんて感じ悪い挙動をとってしまうこともある。
報酬は、基本プラス歩合だったが、その後、歩合だけになっていた。

炎天下の住宅地を朝から昼過ぎまで廻り、
帰宅して、昼食をとった後しばらくして、体が反射的にトイレに・・・。
体は丈夫な方なのに、熱射病か、吐いてしまった。
それでも二ヶ月くらいはやったかな。
携帯と同じで、今時、「新規」のアンテナを探すのは難しいけれど、
やっぱり今でも、誰かが探し歩いているのだろうなぁ。
リングでつづった分厚い台帳を持って、斜め上を眺めている人を見かけても、
睨みつけないでね(大抵、バイトの人は、こわおもてではありません。)、
結構しんどい思いしてやってるから。(笑)

テレビ番組制作会社・・・もう、うんざり!

とあるテレビ番組制作会社の人材募集に応募してみた。
競争率25倍だったそうだが、なぜか採用されて、働くことになった。
これは、十年ほど前の話なのだけど、まだ、そこの会社は生き残っていて、
毎週、自分が関わっていた番組が、放映されている。
あ~、相変わらずなんだろうな・・・。

私が最初に担当したのは、海外から送られてくる大量のVHSビデオテープを何本もチェックし、
そのデータ(どこの、いつの、どういう内容などなど。)をまとめる作業
だった。
一日中、ラップトップで、何を言っているのだか分からないようなテープを、
早送りしながら見て、データを作るのである。

色々な言語であっても、意外と内容がつかめるものもあれば、
よく分からないものもある。

そのデータを、ディレクターやらプロデューサーやらが読み、
興味の湧いたビデオをみんなで見たうえで、
どれを(番組で)使うか、検討する。
幾つか選んだ後は、その映像がどういうかたちで入手可能かとか、
シリーズ丸ごと使わせてもらうかとか、
金額の交渉といったことへと進む。
その辺が万事うまくいったら、その映像をテレビ放送に耐えうる媒体にしたり、
日本の画像の方式に変換する必要があるものは、業者に発注し、
そのまま使えるものは、そのまま使う。
収録前に、映像の詳しい資料を作り、関係者に配る。
収録後は、編集作業を見に行ったりする。(雑用係!)

忙しい時間と、手持ち無沙汰な時間が交差するのは、
たくさんの人間が関わっているので、仕方が無い。

けれども、打ち合わせの時間なんかも滅茶苦茶で、
夜中の十二時にスタート、なんてこともあった。
急に忙しくなった時は、いくら頑張っても間に合わない・・・!!
という気になる。
(怖い社長に「どうして、出来ないんだ!」と、叱られる。)
慌てている時に限って、先輩から、行方不明のテープを
探すように言われたり。
社内のテープは、他の会社も利用することがあり、
それをきちんと管理している者がいなかったので、
しょっちゅう、テープ探しすることとなる。
(探したって、みつからない!誰かが何処かに持って行っているのだから。)
出版物の編集会社なんかで、写真のネガ(今では、データファイルとかかね。)が行方不明になりがちなのと同じだ。

始まる時間は午前十時からで、遅めだったが、
帰りは何時になるか分からない。
帰りたくても帰れない、何日も会社にいる人もいた。入浴も出来なかったりね。
他の人の作業の進行によって、後の人が動く時間も左右されるから、
待ったり、動いたり、である。
自分の出番の時間のほうが、忙しくてもほっとすると思う。
待っている間に、余計な雑用が入ったりもする。
落ち着かない。
殆ど、太陽の下には出ない

帰りはしょっちゅう、タクシーで揺られて帰る。
そういう環境であった。

残業する割には、給料も少ない。
そんなに忙しそうに見えない(常に忙しいわけではないから)くせに、
毎日残業なんて、頭悪いんじゃない!?とも思ったけれど、
そのやり方では、何処かできりをつけて、
他の人に迷惑がかからないタイミングで、帰るしかない。
夜中にタクシーなんかで帰ると、
料金と自分の日給を、思わず比較してしまう。
(今は、早く帰るか、泊まるかのどっちからしい。)

偉くなっている人は、相当偉そうに出来る。
その職種自体好きな人か、芸能人好き(確かに、芸能人と会える機会も多いし、時には、打ち上げで同席出来ることもある)な人でないと、長く働くことは難しいだろう。
下っ端の人間は、独身の若い人が殆ど。
プライベートの時間がないよ
と、面接の時言われた。
そこで働いて、よかったことといえば、番組制作のしくみが分かったり、
時々、社長が、とびっきり美味しいものをご馳走してくれることくらいだった。

その会社は、働いている人間が、辞めたくても、
「辞めたい」と、社長に言うと、説得されて、辞めさせてくれない。
辞める場合は、殆ど、ばっくれしかない、という噂があった。
私が働いている間も、すごく頑張っていた人が、突然、来なくなり、
結局退社となり、本人がやってこないので、
会社から、書類を郵送するということが、度々あった。

私は、もともと、テレビっ子ではなかったので、あまり夢中にもなれず、
長時間拘束されることが苦痛で仕方がなかった。
時々、勤務時間中に外の空気を吸ったときは、
自分が、違う誰かになったような気がした。
静かな夜の空気に助けを求めたい気分。
自分が外に出るときは、大抵、夜。
夜はふけていくけれど、帰れない。
すごく、気分が滅入る。


そして、私も、まさか自分は、と思っていた、
「ばっくれ退社」することに。
3ヶ月間働いたけれど、とても長く感じた。
今ではもっと、効率よくなったのかな。技術的にもだいぶ変わっただろうし。
けれど、職場のカラーはあまり変わっていないんじゃないかな、と思う。
この仕事は、仕事の内容自体好きで、幾ら時間がかかっても平気、
乱雑、不規則も気にならない人でないと、ストレスでいっぱいになりそう。
男の人なら禿げちゃうかもね。
人間関係も独特だし。
私は、まるで合わなかったなぁ・・・。(苦笑)

どういうわけだか、ウグイス嬢・・・!

友達に頼まれて、なんと、ウグイス嬢のバイトを一日だけやった。
好きでもない政党の、知りもしない候補者の、である。
朝から、「ご迷惑をおかけして・・・」と言いつつ、そんなこと思ってないくせに、マイクでやる、あれである。
喉が辛いので、三人で交代しながら、何パターンかの文句を言うのであるが、
繰り返すうちに、何を言っているのか、自分でも分からなくなる。
声も本当にかすれてくる。
街頭のほうがまだいい。
終了後、候補者と支持者が盛り上がっている中、あっさりとさようなら。
政党によっては、選挙の応援もボランティアがやるところもあるらしいが、
金をもらってさようなら、よりかは、マシかもね。気分的に。

ふいに、おまわりさん。そして、フランス&パキスタンの警察。

出先から帰るときのこと。
地下鉄に券売機の前で、財布を出そうとしていると、
背後から「あの~。ちょっと・・・」。
どっきーん。
おまわりさんが、すごい至近距離で、いきなり脇に立っていた。


ぎょっとして、顔を上げると、内緒話のように声を潜めて、
「近頃ね、スリとか引ったくりとかね、増えてるからね、
気をつけてくださいよ・・・!」
・・・あ、はい。わざわざ ありがとう。

警察の人は、自分の知り合いにも何人かいて、
世の中、看護婦と、警察官は多いもんだなぁ、と
思うのだけど、職務時間中の警察の人っていうのは、
ほんと、慣れない。

身に覚えがなくても、近づいてくると、身に覚えがあるような
気がしてくる。

突然、家に刑事が訪ねてきた時など、動揺しちゃったりして。
100%関係ないことでも。(苦笑)
私は、警察に話しかけられた回数と同じくらい、警察に
こっちから接触したことがある。
そういう時は、大抵、正直な話、
満足な結果は得られない。
「だから、手遅れになるんだよ!」とか、ね。(苦笑)

以前、フランス人の友人で、国では警察で働いていた人がいた。
長期間、日本に滞在していたのだけど、休職扱いで、
国に帰ったら、復帰できるという。
TAXIという、回を重ねるごとに悲しくなるような映画があったが、
あの中で、警察はコメディ仕立てで描かれていて、
普通の日本人の目から見れば、ただ、コメディなんだ、と思う。
しかし、実際のところ、フランスでは、
警察は市民に馬鹿にされているらしい。

だから、あの映画は、フランス人(警察勤め以外の)が見れば、
更に、可笑しくて、気分がいいのだろう。
ちなみに私の友人は、ジョークの通じる人なので、面白がっていたが。

警察といえば、以前パキスタンに行った時のこと。
カラチの海岸の方面に、友達(男)とバイクであそびに行った時、
バイクを止めて、橋の近くで夜風に当たっていると、
二人の警察官が近づいてきた。
結論を言えば、外国人の女を連れて、何してんだ!?と、
わけの分からない容疑!?でいちゃもんをつけてきたのである。

ただ単に、賄賂を出せ、ということだ。飲酒禁止、みつかったら、賄賂。
路上でハッシッシ。見つかったら賄賂。
理由は何でもいい。
賄賂が払えないなら、連行されて、暴力を受け、
その三日後に家族に連絡がいく、何てことは、普通。

「理由もなく、賄賂を請求することは普通ありえないけれど、
刑罰は決して逃れられないのと、
殴られたり、不当に金を要求してくるけれど、金さえ払えば、
刑罰から逃れられるのと、どちらがいい?」

と、数人に聞いてみたが、誰もが、後者を選んだ。
ムシャラフ政権が発足し、軍隊が、警察を監視するようになって、
警察の不正はかなり減ったというが、
国民の体質は、突然変わらないだろう。
認める人がいるから、考えられないようなことも、
通ってしまう。

(興味のある人はインド映画「HINDSTANI」参照。)
世界のニュースで取り上げられないほど腐りきっている。

そう考えると、日本の警察は、よく頑張ってるなぁ!?
中には、親切な警察官も大勢いるしね。(その逆については、ノーコメント。)
ただ、もっと、頭を柔らかくして、ケースバイケースに考えられるように
なって欲しいな。世界中で、警察は、程度の差はあれ、石頭なのかね。
ちなみにパキスタンでも、公務員の家族から公務員がでるってことが多いらしい・・・(笑)。

フード業界、合わないみたい・・・(苦笑)。

手っ取り早く、何かバイトをしようかな、と思ったら、
やはり、飲食店が求人が多いし、やれそうな気もする。
そんなわけで、幾つか、試してみた。

その①いわゆる、ファミレス
朝、まずやることは、ガラス拭き。
ファミレスというのは、定期的に、業者に本格的な掃除を頼んでいるので、
バイトは気になる汚れを拭く程度。
それから、お客さんを迎える為の、細かいものの準備などをする。
キッチンの冷蔵庫の陰に落ちている物体が、何なのか、気になる。
昨日もあったな・・・。


妙に気取った店で、実は冷凍のくせに、わざとらしく、客に見えるところで
フライパン、じゃっ!とやったりする。
メニューの名もわざとらしい。オーダーとった時の短縮名も、気に入らない。
ランチがあって、飲み物を何にするとか、前とか、後とか、
それも、グループ客が、それぞれ違ったことを言って、
しかも、「あ、やっぱり、~にして。」「私も、やっぱり~にして。」・・・・!

近くにテニスコートがあったので、その帰りのおば様方のオーダーをとりに行くと、
なぜか、「うちの息子のお嫁さんに」と、・・・・・!!
気合入れすぎると、上司に「すし屋じゃないんだから!」と叱られる。

やっぱり、私は向いていないみたい。(笑)


その②雑誌に載るような、しゃれた中華レストラン

食堂っぽいところなら、大丈夫だろうと、行ってみた。
夕方、開店前の中華屋。
なんだか、異様な臭いが、うっすらと漂ってる。
漂っているというよりは、染み付いているのか。
カウンターの上を走っている、あれは、もしや?

あの馬鹿でかい、丸太状のまな板、すごい保菌してそう。
洗い物だって、中華料理の油は、普通の洗浄器じゃぁ、
いまいちすっきり落とせない。

お客さんの前では、料理は強烈な食欲をそそる、
光と香りを発しているのだが、
アジアン食堂とはよく言ったものだ。
衛生状態が、まさに、アジアであった。

賄い付きだったけれど、食べなかった。
十一時半、付き合い悪く、
終電目指して(家が、その駅より登りだったので。)駅に走る。

二ヶ月、もたなかった。大嘘でっちあげて、辞める時、
いつも怖い顔していた料理長が、一言。
「お前って、憎めないんだよな。残念だな。」
ちょっと、罪悪感。(嘘ついたから。)
けれども、中華屋は、もう、いいな~。


その③インディアンレストランで、ボランティア。

友人がやっているインド料理屋に遊びに行った時のこと。
そこへ行くと、いつものことだが、こき使われる。
暇そうにしていると、働かされる。

カレーは、何種類かベースを前もって作って、冷凍してある。
オーダーに応じて、それを少し、フライパンにあけ、野菜やら、肉やらを
いため合わせる感じ。
テーブルに運ぶ時に、見た目で、種類がよく分かりにくいことも。
インド人クックが、愛想なく、早口で、「はい、~カレー」と、
手渡してくる
ので、聞き逃さないようにする。

インド料理も、洗い物が大変。
重い皿などがないのは、楽。
焼肉や、寿司のように、誰でも来るっていうわけではないので、
暇な時は、座ってたりして。(笑)

夕方、ボランティアの代償に、ご馳走してもらう。
美味しいのだけど、レストランでは、家庭よりもマサラ(スパイス)も
塩も多く使うので、その晩は、ず~っと喉渇きっぱなし。
洋服にも、しっかり、店の臭いが移って、当分、カレーはいいや
という気分になる。

どうやら、私は、飲食店の臭いがダメみたい。
思考も、店の外に逃げ出してしまうし。
時計の針が気になっちゃたりして。
どうも、真剣に出来ないのでした。(苦笑)

意外にドラマチック!?引越屋のバイト

旅行資金を早く貯めたくて、引越屋でバイトしてみることにした。
日給八千円。まぁ、悪くない。
上っ張りと、エプロンを貸与される。
プロ用の優れものガムテープ(どこでも切れる。重ね貼り、ペンで記入可能!)
とカッターナイフ、マジックペンをポケットに入れて、
トラックに乗り込む。

私の仕事は、荷造りと荷解きがメインだった。
朝、行った先のお宅で、荷物をまとめ、引越先が近い場合は、
新居のほうで、同じお客さんの荷物を開き、配置する。
時には、何軒も、荷造りだけしにいったり、
荷解きだけに行くこともあった。
もちろん、自分たちが荷造りしたものを、
自分たちで解くほうがやり易い。

引越っていうのは、個人では、そんなにしょっちゅうするもんではないから、
大仕事、という感じがするが、引越屋は、当然、引越ばかりしているわけである。
さすが、大手の引越屋!と、感心するような技がいろいろあった。

例えば、荷造りする時、基本的に、引き出しのものは、一つの引き出しにつき一つの箱、
本棚は、一段につき一つの箱に入れる。
左右どちらから、箱に入れていくかも決まっている。
そして、どこどこの棚〇番(下の段から番号をつけていく)と書いておけば、
他の作業員が荷解きをする場合でも、簡単に元に戻せるわけ。
壊れやすい食器専用の箱もあって、ダンボール箱の中に、布製の袋がたくさん釣り下がっている。
その中に、皿をすとんと入れるだけ。

箱のサイズも言うまでも無く色々あるが、
運ぶ人を配慮して、大きな箱には重いものをたくさん詰めない。
お客さんのもので、どう見てもゴミ、というものでのも、「捨てていいですか?」は禁句。
「これはいかがいたしましょうか?」みたいな感じで聞くのである。
人のものだから、勝手に捨てられないのだ。
キャッチフレーズに、お客さんは何もしないでいいような文句を
うたっているので、
中には、引越当日に、鍋の中に味噌汁、冷蔵庫も電源が入っていて、
中身もどっさり、
というお宅もあった。
大胆だな~。
開いている液体の調味料類(油や醤油)は曲者で、
どうやって梱包するか悩む。
たくさんお金とっているのだから、そういう処理も仕事のうちなのだが。
新築のおうちに運び込む前には、通路や壁に、しっかり養生するのも、
当たり前ではあるけれど、さすがプロ!自分だったら、あちこち傷つけちゃうもの。

作業の進行によっては帰りも遅くなるし、
ほこりのせいか、靴下がすぐダメになる。(なぜか、穴が開く。)
それでも、面白かったのは、大抵、毎日、違う家に行かれるからだ。
外をよく通ったことのあるマンションの中が見れたり、
色々なおうちの隅々まで見られるのはこの仕事ならでは。
(福祉の仕事なんかでも、そういうこと多いかもね。)
まぁ、作業する人間は、長く働いていればいるほど、
驚きも、感じもしないのだろうけれど、
新入りの私は、色々、感じましたね~。

あらゆる隙間に、物が突っ込まれていることに驚き。
ものすごい高級住宅の室内にびっくり。
新築のおうちに運び込まれる、高級家具にため息。
たくさんの蔵書にうっとり。
どこを触っても、ほこりがべっとりついてくる部屋に辟易。
時にはお客さん夫婦の喧嘩におののく。
ナドナド、書き出したらキリがないが、何より、この仕事で得た宝は、
人の言葉と、現実の切ない状況に対する感慨である。

そのバイトを止めた後でも、かなり長いこと、私の心に残っていた言葉がある。
ある日行った先のお宅。アパートに、中年の男性一人暮らし。
荷物は殆ど本。あと、原稿が入った箱。
もちろん、内容を読んでいるほど暇じゃないし、サボっていなかったけれど、
まぁ、何かものを書いているか、編集関係の仕事をしているのだろうな、
ということは察しがつく。(誰が見ても分かるか・・・。)

荷造りが終わって、まだ到着していなかったトラックを待つ。
お客さんと二人だけになってしまったので、それとなく、
世間話をした。
そのとき、その人が言った言葉は、その後数年間、私の心の玄関口に
置かれることとなった。
「旅は・・・二十五歳までにどんどん海外に出たほうがいい。
それ以降でもいいけれど、吸収する量がまるで違う・・・。」

その人の言葉のとおり、私はその後、二十五までの間に、
あちこち旅することになる。
旅の理由が、分からなくなった時は、その言葉を思い出した。

ある日行った、目黒区の高級マンション。
3LDKの大きなおうちに、おばあさんが一人で暮らしていた。
今度行く先は、娘さん一家のところ。
つまり、同居になるというわけだ。
それも、六畳の一部屋に。
その為には、当然荷物を減らす必要がある。
娘さんが、引越前から、そこに来て、おばあさんの部屋から
ゴミをまとめて外へ出すたびに、おばあさんが拾ってきてしまうという。
「もう、どんどん捨てちゃってください!!」
手当たり次第、袋に入れて、、納戸である部屋に押し込んでおくように
言われた。
おばあさんは部屋の中をうろうろしている。
娘さんいわく、おばあさんはボケているということだが、
納戸が気になるようで、その周りにきては、心配そうに覗き込んでいた。
まだ、生きているのに、問答無用で、持ち物を捨てられる。
捨てたくて、さっぱりしたくて、誰かに思い切って捨ててもらうのとは
話が違うだろうに。
他にも、ものをためこんでいるお婆さんのおうちに行った時に、まるで、片づけが
はかどらないということがあった。
そのときも、家族が捨てろと言っているのに、本人が嫌がり、
結局、捨てられてしまったのだけど。
よくある話だ。

老人が死んだ後に、家具もろとも、家がパワーショベルで
ガブガブかまれ、思い出の品は、ばらばらに砕け散って泥まみれになって
ダンプに積まれ、産業廃棄物処理場に運ばれるのだ。


モノに対する思い・・・
壊される、捨てられるのが悲しいようなものは、出来ることなら持ちたくない。
けれども、好きなものに囲まれて、生活したい・・・。

外国人向け不動産でバイト

英字新聞のFOR RENTなんかでもよく見かけるが、
外国人向けの物件と言うのは、家具付き、キーマネー(敷金?)なし
っていうものがある。


外国人の友達も、やっぱり、敷・礼金は理解しがたいと言う人が多い。

英語が堪能なわけでもないが、面白そうかなと、思って、バイトしてみた。

不動産が持っているアパート丸ごと、もしくは一戸建てを、外国人に貸している。
アパートでは、各部屋。一戸建ては、共同住居といった感じで、
日本人にとっても贅沢な場所に、何件かあった。

私が担当したのは、新しい入居希望者を物件に案内したり、
退室する人を監督?!したりといったことであった。

初日は、先輩について、入居希望者を、アパートに案内した。
必要最低限のものは置いてあったが、寂しい部屋である。
ごく普通のアパート。敷金がない分、家賃は少し高め。
まぁ、ホテル泊まりよりは安上がりだろう。
海外にはよくあるタイプだ。

客を連れて、ある部屋へ行った時のこと。
まだ、その部屋を使っている人がおり、〇時頃、他の客に部屋を見せたいから訪問するよ、と
連絡してあった。
ノックをしてドアを開けてみると、中は薄暗く、
なんと、カップルがラブラブで寝ていたんですね~。
取り込み中ではなかったけれど。
私と同じくらい、一緒にいた客もびっくりしているのが窺われた。
・・・日本人でも、こういうこと、あるかなぁ~。
部屋のカップルもそれなりに慌ててはいたけれど。(笑)

若者の町のど真ん中から、路地を入ったところにある、共同住宅に行った時のこと。
その時は、退室する人の監督!?であった。
それというのも、約束の日だっていうのになかなか出ない人がいたからだ。
北欧から来た女の子二人。
二人とも、長い髪を頭の上に丸くお団子にしていた。
足元はパンクっぽくて、気も強そうなので、こっちも最初はおっかなびっくり。

しかし、ただ単にルーズなギャルでした。
アジアを周りながら日本に来たというバックパッカーで、次はバンコクに行くという。
共同住居のほうは、貸間みたいなもんで、壁も普通の住居と変わらない。
長期滞在するには、プライバシーがちょっとね、という感じ。
共同のキッチンも、かなり汚れていた。

同行した職場の先輩が、二人に、早く荷物をまとめるように言い、
後は私を残し、行ってしまった。

二人の荷造りはまるで進まない。信じられないほど進まないのである。
思わず、手を貸してあげようか、と言いたくなるほど。
それというのも、荷物はそんなに多くないのに、脱線ばかりで
いっこうに集中して作業をしないのだ。
もちろん、北欧の人がとか、外国人が、というわけではなく、
その人個人のパーソナリティーである。

こちらも、ソファーに座り込み、ただ座って待った。
時々、先輩が状況を尋ねてきたが、適当に応えておいた。
いつまでたっても片付かないから、適当に答えておくしかないのである。
あまりに暇なので、ちょっと手伝ってあげることにする。

ただ単に、片付けるのが苦手だったの!?もしかして!?
あっという間に片付いた後、一人の女の子が、嬉しそうに礼をいい、
引越し荷物の中から小さなバッグを取り出し、「これあげる」。

中に、六本木のクラブのチケット(使用済みの、ね。)がちぎれて入っていた。
彼女たちは、日本で楽しめたのかなぁ。
外国人同士、つるんでいたのかなぁ。
世界中でつるむ日本人の話はよく聞く。
周りに受け入れてくれる体制があっても、日本人同士で固まってしまう。
もちろんそうでない人も一杯いるし、知っているけれど。

日本でも、日本人の冷たい壁を感じて、日本社会に入っていけない外国人、
困っているけれど、助けを求められない外国人は多い。

家族連れで日本に滞在していて、子供の幼稚園なり、学校なりに所属することで、
日本人のなかに入っていける人ももちろんいる。
それでも、外国人同士かたまりがちなのはなぜだろう。

日本人には気を使う、言いたいことが言いにくいのか、
全く別の価値観の人種と感じられるのか。

オープンに積極的に関わってくる人もいれば、
唾を吐きかけてきたり、人種によっては嫌悪したりする人が、まだまだたくさんいるからか。
(私が外国人の友人と歩いている時に、いちゃもんをつけられたことは何度もある。
ただ歩いているだけ、立っているだけでも。)

一部の外国人のせいで多くの外国人のイメージがよくも悪くもなる。
同国人同士、自業自得じゃん、と言うことも出来るかもしれない。
でも、私たちがみんな同じじゃないように、外国人だって、それぞれ違う。
海外で、不法滞在、不法就労している日本人だっている。
働き手の無い企業の工場で、危険な作業をして指を落とす外国人もいる。
彼らは、母国では、「〇さんは、家族の為に日本で働いているんだって?エライね~」と、
言われていることもある。日本では、不法、つまり、犯罪者と呼ばれている。

見方によって、全て、断面が変わっていく・・・。
神奈川の方で、不法就労防止のキャンペーンが行われていたらしい。
日本は少子化が進む一方。

結婚してくれる人が見つからず、海外の配偶者を選ぶ人もいる。
流行のダーリンをゲットする人もいる。

不法就労になってしまうのはなぜなのか。
そこをどうして考えないのだろう。
ただ追い出すのは、くさいものに蓋をする、だけだ。
これ以上は書かないが、お互いにとって大きな幸せを得られる視点に
転回出来るようになるのは遠い先か、それともずっと、無理なのだろうか、と思った。

その不動産でのバイトは、あとで、よそから仕事の誘いがあったため、すぐに止めてしまったが、
なかなか考えさせられるものがあった。


銀座のクラブでホステス体験 その③

酒も飲めない、歌えない、落ちこぼれホステス(というより雑用係に近い)の私でも、
それなりに、毎日疲れた。
短時間なのに、妙に疲れて、その割に、気分も昂ぶっていた。
そのまま帰る気にはなれず、週二、三回位、家のほうに向かう電車には乗らず、
丸の内線に乗って、新宿のクラブ(踊るほうのね)で遊んでから帰った。

頑張って少し飲んだ日には、帰りの地下鉄のホームに落ちるんじゃないかと思った。
同居の友人が心配して、何か声をかけてくれているのも遠い彼方。
翌朝、「昨夜はつらそうだったね。大丈夫?」と、友人。
遊んで帰った朝、数時間寝て、昼のバイトに行くのも苦しくなってきた。
短期で気楽に入ったつもりが、元の生活がだんだん変わってきた。

本気で、ホステスをやろうと思っていたら、また違ったと思う。
やはり、いい加減な気持ちで、銀座では働けないのだろう。

微笑んで、座って、聞いて、話して、注いで、歌って・・・

大変そうには見えないかもしれない。
けれど、見えないものを売る代償は、その値と同じように、高い。
自分がどれくらい磨り減っていくのか、はっきりとは見えない。
けれども、何か、怖くなっていく。自分の底から、声が聞こえてくる。
どんどん、自分が求める方向から外れていっているよ・・・と。

そこで、本気でやっている人は、相当、自分を応援出来る人。
その仕事を選んだ自分に自信を持ち、それを疑うことなく、
プロに徹することが出来る人。・・・ではないかなぁ、と思った。

クラブのママは、家のママに甘えられない人を甘やかしてあげられる人。
女は、面倒見がいい人でも、時には男に頼りたいもの。
「私だって、たまには甘えたい!」と、思う。
けれど、クラブのママは、ひたすら客を甘やかしてあげないといけない。
色々なお母さんがいるように、色々な甘やかし方がある。

結局、約三ヶ月でそこを止めた。
こんな私であったが、ママは、「本当に(やめて)いいの?」
「うちは、出戻りはダメだからね。」と、言った。

その後、友人二人が、同じような仕事を経験した。
自分たちの、本当にやりたいことの為の資金稼ぎに。
それでも、自分の中から失われていくものが多いと感じ、
二人とも、長続きはしなかった。
お金がよくても、もう、戻ることは無かった。


迷いながらも、はまっていく人。
最初から、その仕事がしたい人。

いずれにしろ、楽な仕事ではないことは確かだ。