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気持ちが上がっていく過程。

 何が何だか分からなくなったとき、私はとりあえず深呼吸して、

 心はなんて言っているかな?と聞いてみる。

 

 心の声に耳を澄ませば、心は教えてくれると聞くけれど、その声に従って大丈夫なのか?と思う。

 自分を信じていないってことか?私は。


 でも、子供を見ていると、心の声そのまんま聞いていいのかと疑問に思う。

  あれが欲しいこれが欲しい。そういった欲望も心の欲するものだとすると、その欲するままに動いていいのか? 

 心がしつけさせられていないと

 ・・・と考えたとき、しつけというのは、頭での領域だと仮定して考えた。

 

 本来、あった。でもそれより、もっともっと欲しいという思い。頭を使っていろいろなものが作り出され、物があふれ、

 さらに新しいものを伝える情報があふれている現代社会。

 心ではなく頭で考えたもので作られた社会には、やっぱり頭で対応していかないといけないのでは?

 

 だけど人間はやっぱり人間だし、ずっと人間。

 頭ばっかり使っているから、心が運動不足。もてあました心は感動したがってるし、満たされたい思いでいっぱい。それを満たすために、また物や情報をつぎ込んで、の悪循環。


 自分が貰った信用ならない薬を検索かけてみたら、たくさんの「鬱病」という文字が現れた。

 いったいなんで、そもそもなんで、そんなにみんな病んでしまうのか。

 その原因は、育った家庭にあるだけではなくて、その家庭をも含む社会・・・


 そんな風に漠然と考えると、どうにもならない、つかみようがない感じになる。よく地方出身の友人が、子供は東京で育てたくないとか東京は子育て向きじゃないと言うのを聞く。そういう考えもあるよねぇくらいにしか思っていなかった。しかし、ただ歩いているだけで、あっちもこっちもキラキラ、おいしそうなsweetsの店や可愛らしいものが並べられたものを、毎日通る道で見かけるのと、そんなものはないけれど、日に照らされた地面と、青空と、揺れる緑に挟まれた道を通って学校へ行くのでは、ずいぶんな違いだ。

 子供の小さな脳は、キラキラした夢のようなものを欲しいと思うだろう。制御するのが大変なのは、たとえば大人が、お菓子を買わなければ食べないのに、家にあると食べちゃうのよねぇというのを考えればわかること。

 過剰な欲望と戦うのは大変。

 ではどうするか。

 欲しいと思わなければいい。それが素敵なものではないと思うなら、欲しくもなければ興味もわかないはず。


 何が大事か教えること。

 大事なことはそもそもそんなにたくさんではないはず。

  

 ・・・・なんかまた頭使っちゃった感じww


 だけど、私は21歳のころ、つまり16年前に同じようなことを考えていたのだった。イスタンブールで。

 物はそんなになかったけれどたくさんの会話があった。気持ちがあった。


 あったかぁい気持ちは、スープよりあったかく、甘い笑顔はうっとりする、sweets

 優しいぬくもりは触れなくても感じる。それらは、人から受けるだけでなくて、自分自身もそういうものすべて持ってる。時には力不足でへたっても。

 へたれたときは、ひとりで好きな時間に思い浮かぶ好きな場所へ行くと、力がわいてくる。

 そういうことは、心の声が教えてくれることなんだよね。


 心も頭も大事だね。これまた当たり前のことなんだけど。

 大変な時代だから、病んでる人が多いのも仕方ない。


 外は雨があがって晴れてきた。

 私は雨上がりが大好き。緑の匂いをかぎながら歩けるから。


 ・・・・上がってきた。笑。

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