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慣れと、流れ。

 慣れるということに、私は悪いイメージはなくて、例えば、最近、長女が野球を始めたが、それを中心とする生活に早く慣れるといいなとか、この靴が早く馴染むといいなとか、何事も、慣れるということは、うまくやれる、落ち着くといった意味をもつ。

 馴れ合いとか、なぁなぁってことは、今振り返っても、どうも思い浮かばない。

 長い年月付き合っている友達なんかでも、お互いに変化していくせいか、飽きることなんてないし。

 持ち物だって、例えば、皮製品などは、気に入ったものを妥協せずに探すのだが、買うときに、先を想定する。     長く使い続ける甲斐があるかどうか。長く好きでいるだろうか?

そうして選んだら、長く変化を楽しむために、大切にする。そうしているうちに、馴染んでくる。

 身体と身体もそうだと思う。新しく接する身体。

 ただ、それは、ものや事柄とは違うから、自分の気持ちだけではどうにもならないけれど、事物と違って、コミュニケーション取ることで、うまく馴染ませていけるのだろう。おかしなことに?・・・大事に考えるほど、不安にもなる。なんで不安なのかと思えば・・・互いに馴染ませていくという風に考えるっていう考え自体が自分にとって新しくて、慣れてなかったからかもしれない。いつも、アンバランスな関係で、それは、セックスだけじゃなくて、いろんなことで、不均衡すぎるバランスなのに無理やり馴染ませようとしていたから、そうではない、新しいバランス感覚に対して、初心者のようにドキドキしたりする。

 慣れることと変化することって、なんか矛盾? 

 変化するリズムに、慣れる、流れにのる、そういうことなのかなぁ。


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忘れ去ってしまうこと。 | Home | 女の肌っていうけれど

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