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「死」を中心におくことの効用。

久しぶりにあった人に、必ずといっていいほど言われるのが、
「全然、変わってないねぇ!」というセリフ。
どういう意味で言っているのかは、その人それぞれだと思うが、
こちらとしては、中身が変わっていない、
つまり、相変わらず子供っぽいという意味に思われる。
ま、「若い」と言われることが褒め言葉となる年齢ではある
のだけれど、素直に喜べないのは、やっぱり、
「大人になりたい。まだ、大人になれていない。」と思っている自分がある
からだろう。

何となく、自分は長生きしそうもないなと思うことがある。
とりあえず、元気で、慢性的な睡眠不足以外は、
特に不健康な生活を送っているようにも思えない。
今までも、大きな病気はしたこともない。
正体不明の痛み、実は、不明ではなくて、
ただ単に精神的なもののせいで、
あ、もうダメかも、と思った時期は、人生の中で三回ほど。
異国で、一人のたうちまわっていた時は、
本当にヤバイかも!?と、思ったが、
毎度のごとく、いつの間にかにやってきて、
いつの間にかに遠ざかっているのである。
検査をすると、「傷跡だらけ」だってさ。

そんなわけで、父の突然の死も、
人事ではないような気がしないでもない。
似たような傾向があるからだ。
自由気ままで、明るく、人懐っこく、面倒見がいい
というのが、周りからの父への評価。
いつの間にかに、同じようなことを言われている自分。
時々「死」について考えるわけだが、
もし、人生の半分を過ぎていたとしたら、
残り時間はあまりないということになる。

「何言ってんの?」と、「そういうこと言う奴に限って・・・」
と言われそうだが、長生きするとは限らない。
いつ死ぬかなんて分からないから、数時間後ってこともあるわけだ。
直感重視なので、それによると、
数時間後とか、数日後に死ぬという気配はないが、
たまには「死」について考えてみるのも悪くないな、と思う。

毎日、欲張りすぎて、時間がない~と、嘆いているのだが、
どう考えても、何かがおかしい。

自分よりももっと、忙しい人はたくさんいる。
自分の生活、時間の使い方ナドナド、見直さなくては・・・
と思いつつ、似たような日々を送っているわけだから、それらを考える上で、
「死」を中心に持っていけば、余計なものをそぎ落とせそうだ。

迷いのある生活。ちっぽけなことなのに、大きく心の中を占める心配事。
周りの目。逃避のために何かにはまることに対する不快感。ナドナド、
人生を複雑にする因子はたくさんあるのだが、死が近いとすれば、
そんなことにかかずらあっている暇はない。
だからといって、大きなことが突然出来るわけでもない。


では、どうするか。
自分にしか出来ないこと、ちっぽけなことであっても、
その時、そのことをやれるのは、自分しかいないということが必ずある。

例えば、その日、その時間に、階段に並べたその植木に水をあげるのは
私だけ。私が水をあげなければ、死んでしまうかもしれない。
小さなことだけど、重大なことだ!?

助けを求めている身近な人。
最も、それを必要としているのは自分自身かもしれない。
命が限られていることを意識するとしたら、
もうすぐ死ぬとしたら、何を選んで、何を選ばないか。
よく言われるように、「死」意識して、「生」をよく生きられるというのは
そういうことだろうか。

不特定多数の人や世界を助けようとすることは、
確かにカッコいいかも知れないが、本当に助けを求めている
身近な人、自分の大切な友人達を助けていくことの方が、大切ではないのか?
助けてくれそうで、いざとなると頼りにならない賢そうな人よりも、
どうしようもない奴だけど、本当に助けてくれる人。

そっちの方が、ずっとカッコいいよなぁと、ふと思った。
もちろん、その前に、自分の世話をキチンとみるということが
大前提ではあるけれど。


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テーマ: エッセイ | ジャンル: 小説・文学
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