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キザで、優しい、、、か。

キザな奴、っていうと、たいていそれは、いいイメージとは言いがたい。
けれども、今時、キザっていうのも新鮮かも。

人は幾つかの面を持つ。
意外な一面が、ある人のためだけに現れるとしたら、
それを知った「ある人」は、きっと嬉しいんじゃないかと思う。
自分の為に、とっておきの一面を見せてくれたんだと。

目の前にいる人。
その人に、自分のことを知らせるとしたら、相手の判断に、
良くも悪くも任せられる。
その相手が持った、こちらに対するイメージ。
それは、自分のことであっても、そのイメージを感じた相手に属するもの。
自分のことを言っていることだとしても、それは、自分のものではない。

目の前にいない人。
その場合は、自分で自分のことを説明したり、何かほかのもの、
例えば、作品であったり、文章であったり、会話であったり、
を通して伝えていく。
そこから、感じてもらう。
自分のことというのは、自分が一番分からない。
人は不変ではないし、出身地や年齢でひとくくりに出来るほど、
画一的でもない。
だから、そんな時、他の人が持っている自分のイメージを使って説明するのが手っ取り早い。
でも落とし穴。
他の人が自分に対して持っているイメージは、
やっぱり、自分に所属するものではないからだ。
それでいて、「私はこういうものです!」と言えるほど、
自分のことを知らなかったりする。
自分が感じていたい、自分でつくった自分のイメージという場合もあるだろう。
そうすると、思ったのと違うイメージを相手に持たれた時、
何とか、訂正しようとするかもしれない。

では、そんなうっとおしいイメージなんて、蹴飛ばしてやれ!
・・・時に「ショックだなぁ」と言われることがあるかもしれないけれど、
自分はずっと楽になり、お互いの関係も、また一段、上がる、
そんな気がする。第一、誰の為に生きているのか?
もともと受け入れてくれる相手であれば、ちょっとやそっとじゃ、
見捨てたりしないだろう。
そういう相手は、見せられている一面だけでなく、
すでにそのほかの面の存在にも気付いており、
それがたとえ、好きになれないものであっても、
もはや「気にすることではない。」
そう思いたい。

どう?今度は君の番。
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